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宇喜世の歴史

高田には江戸、明治から続く古いお店が多くあり、宇喜世もそのひとつに数えられています。
伝えられているところだけでも200年近く前にはすでに仲町にあったようなのですが、はっきりとした文献は残されておらず、沿革につきましてもいわゆる口伝えが中心となっております。

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昭和27~8年頃の仲町 宇喜世前
祇園祭りのときの写真です。

江戸時代から昭和にかけて栄えた料亭街、田端。今の仲町です。

現在の「仲町」は、江戸時代の頃は「田端町」という町名でした。
田端町は福島城(現在の直江津の春日新田付近にあった高田城以前の城)の城下町で、魚市場や卸し業が盛んでした。

高田城の築城に伴い、この地に移転したとされています。 城下町の中心部は、ほぼ福島城下の町をそのまま移転して建設されたようで、魚の販売権利も損なうことはなく、移転前と変わらぬ活気に満ちていました。

このような歴史から、仲町には、魚を扱う=お料理をお出しする料理屋、割烹料亭が多く生まれ、昭和40年代くらいまでは大勢の芸者さんも行き交う粋な町として栄えました。


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戦前の宇喜世の北門。
昭和10年頃ではないかといわれています。

料亭としての創業は明治から。約150年前の江戸時代には仕出し屋でした。

宇喜世もこの田端~仲町の成り立ちそのままの歩みをしています。
当初は魚の卸し業だったようですが、江戸末期(1800年代中頃)当時、主人甚之助は仕出し屋を営んでいました。

そののち江戸末期から明治のはじめ頃、甚之助の娘婿、八蔵のとき割烹料亭となって平成の今に至っています。
仕出し屋としての時代からだけでも150年以上高田の町に続いている日本料理店ということになります。


「宇喜世」=「世の中を喜ぶ」。またがんばろう、というメッセージ

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「世の中は七転び八起き」。
よく見ると可愛い顔のだるまです。

現在の屋号、宇喜世は造語で、昭和8年当時からのものです。

現在も東門にある看板には転んでもすぐ起きるだるまの絵が描いてありますが、「世の中は七転び八起き」― 今日嫌なことがあっても、美味しいお酒とお料理でリフレッシュして、明日またがんばりましょう ― といったメッセージが込められています。

一般的に使われている「浮き世=思うようにならない世の中」ではなく、「宇宙を喜ぶ」「世の中を喜ぶ」といった当て字を用いたところに、命名した当時の主人の気持ちが表れているように思われます。

約100年前、ハイカラ好きな主人が始めた西洋料理の「日進館」。

当初、屋号は名字そのままの「寺島屋」。その後現在の「宇喜世」となるのですが、その間のほんの一時期、「日進館」という名前に変えた話が伝わっています。明治30年代頃のことです。

当時のハイカラ好きな主人が、上野の精養軒でその頃流行りはじめた洋食を修行して戻ったのがきっかけで、おそらく西洋料理店へのリニューアルをはかったのでしょう。

ところが今から100年程も前の時代のこと。 東京では流行の洋食も、高田のお客さまにはなかなか受け入れられず、結局元の日本料理店に戻りました。 当時洋食の定番と言えば「カレーライス」。今では知らない人はいない「洋食」です。

» 江戸時代からの伝統を受け継いだ、宇喜世の創作料理をお楽しみください

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